ただならぬ妄想と畑のニンジン(^^)

慣用句ってすごい。

 

慣用句って凄いよねって話である。

 

慣用句(かんようく)とは、習慣として長い間広く使われてきた、ひとまとまりの言葉・文句や言い回しのことで、類語に成句成語がある。(ウィキペディアより)

 

鼻が曲が」だとか、「目が利く」だとか、

昔の人が誰に最初に話したかは知らないが、

とにかく、「お、自分ウマいこと言うやんけ!」と行って拡散し、

定着したものである。

今のようにインターネットが発達している世の話ではなく、

あくまで伝聞のみでここまで拡散するのは本当に凄いことだと思う。

まあ慣用句に限らず、

昔からの言葉で現代も使われる言葉ってほんとに凄いって言う話ではあるが。

 

だが、

 

尻の毛まで抜かれる

 

とは一体なんなんだ。

意味は何も残らなくなるまでだまし取られると言う意味である。

尻の毛が最後の命綱の如く扱われている。

はっきり言ってケツ毛を大切にしている人間なんて見たことも聞いたこともないし、

そもそも「ムダ毛処理」として真っ先に処理したい毛ナンバー1ではないだろうか。

私はケツ毛が異様に濃く、割れ目からモヒカンのように飛び出ており、

その様を「フォッサマグナ」とからかわれて以降、

ケツ毛への嫌悪感が人一倍強く、銭湯で他人のケツ毛を見るだけで

湯船に失禁するくらいにケツ毛を憎んでいる。まあ私より濃い人は見たことないが。

 

そんな私にとってこの言葉が定着した理由がまったくわからない。

途中から「ケツの穴までむしりとられる」とか類義語バージョンアップまでしてるし。

変えるならケツの部分を変えろ。

なんなら紅の豚で、主人公ポルコが

「尻の毛まで抜かれて鼻血もでねぇ」とか言っちゃってるし。嘘つくな。

あと鼻のあたり殴ろうか?鼻血出るよ?

 

だが、ここまで定着したということは、

もしかしたら本当にケツ毛を抜かれた奴がいるかもしれないということだ。

それで借金が減額された奴がいたのかもしれない。そしてそれが口コミで広まり、

ケツ毛を抜かれるという恥を抱えてまで生き延びるか、死ぬか、

そんな葛藤を人々が抱いた時代がかつてあった。そんな歴史から生まれた慣用句。

なんつー国だ。

 

若者の貧困化が騒がれる現代、

いつかメルカリにケツ毛が売られるようになるのかもしれない。

さすがのAIもケツ毛は搭載しないであろう。

だとすると、私の将来は安泰である。

仕事に行ってきます。